part.3:Mk.3レイランドグリル・モデル

 1969年10月、MGBはマイナー・チェンジを実施すると共に車種記号を「G−HN5(GT:G−HD5)」に更新した。その一方でMGCはトゥアラー/GT合わせて8976台を世に送り出して2年間の生涯を終えることになった。

 Mk.2のひそみに習えばここからMGBはMk.3と言うことになる(その後生産休止まで車種記号は更新されない)。
 本来MGBはMk.2で天寿を全うするはずの車だった。事実MG(BMC)ではMGB/スプリジェット2種のスポーツカーを1台で置き換える計画が進行していた。ピニンファリーナ・デザインによるFFトゥアラー<EX234>である。

 EX234はAシリーズ/Bシリーズ両方のエンジンを横置きFFレイアウトに搭載しサスペンションにはハイドロラスティックを用いた4輪独立懸架を採用する予定で、1台の試作車がAタイプを搭載した形で '68年にランニング・プロトとして完成していた(この車を「謎の<MGD>である」とする説もある)。
 しかしBLMC誕生がEX234の運命を大きく狂わせた。BMCの結婚相手であるレイランド・グループにはMGの長年のケンカ相手であるトライアンフという連れ子がいたのである。それが同じ屋根の下で家族となるからにはとりあえず拳を収めるしかなかった

 という訳でEX234プロジェクトは白紙に戻され、MGB/スプリジェットのみならずTR/スピットファイアをも統合する計画でMG/トライアンフの社内コンペティシンという形で改めて仕切り直すことになったのである。

 とは言え、この事は同時にその新しいスポーツカーが完成するまでは現存する4種類のスポーツカーは各々自力で命を永らえる工夫をしなければならないという事でもあった。

 そして生まれてきたのがこのMGB Mk.3レイランドグリル・モデルだった。しかしこの「レイランド化」とも言われるMGB/スプリジェットの改良は、実は中身に乏しいものだった。
 最も大きい変化は外観、特にフロント・グリルだった。それまでのMGの伝統に従ったグリル・デザインから、中心に付けられたオクタゴンのみが同じという全く新しいデザインに変更されたのである。
 またテールランプもこの後生産休止まで用いられる、角型断面の物に交換される。外観上は変化はないものの、実はボンネット・フードもそれまでのアルミ製からスチール製へと材質が変更になっている。
 内装に目を転じれば、シートの材質が本革からビニール・レザーに変更されると共に、それまでのスプリングスチール素材だったステアリング・ホイールのスポークが、丸い軽量穴の開けられたプレート・スチールのデザインに変更になっている。

 このレイランドグリルの時期のMGBは、毎年と言って良いほど何かしらの大きな意匠上の変更を受けている。

 '69.10〜'70.9 :
フロント・グリル/テールランプ意匠変更。トランクリッド・エンブ レム意匠/材質変更。
対米仕様は2分割リアバンパー、オーヴァライダーにラバー・インサート、3本ワイパー、専用テールランプを採用
'70.9〜'71.10 :
新型フォールディング・フード採用。オーヴァライダーのラバー・イ ンサートが全車に採用。
対米仕様のリアバンパーが元に戻る
 '71.10〜'72.10:
フレッシュ・エア吹き出し口付き新型計器盤、センターコンソール採 用
 しかしこれは裏を返せば「意匠のみ」の変更であったとも言え、メカニカル部分には何一つと言って良いほど大きな変更は加えられなかったのである( '71年からエンジンが18V型に変更になるが)。

 この背景には、BLMC創設に伴いMGを含むモーリス/オースチン部門の長に旧トライアンフの人間が付いた事による悪意の存在を指摘する文献もある。

 ともあれMGB/スプリジェットはこうした化粧直し程度の改良だけでフェアレディZやフィアットX1/9という新しい設計の新しいライヴァル達と戦う事を余儀なくされたのである。

 元々傑出してはいなかったMGスポーツの性能は、新参の強敵を前にして明らかに古く見劣りのするものとなりつつあった。


by MG PATIO <えむじい亭>マスターCorkey.O
(MGB V8conv. called "Bee-3",Yotsukaido-CHIBA)

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