会報Cream Crackers について、何でこういうタイトルなのかというお尋ねがときどきあります。この名称は戦前のMGトライアル・チームの名称を拝借したものです。
以下は、創刊号に掲載されたCream Crackersに関する記事です。筆者は当時の会長、現事務局長の西尾氏です。
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1934年、MGがPタイプ・ミジェットを発表した頃、イギリス国内ではスポーツ・トライアルが隆盛の兆しをみせ、数名のアマチュア・ドライバーが頭角を現すようになった。それまでメーカーはこれといったサポートを行っていなかったが、トライアルの結果が車の売れ行きに影響し始めると各メーカーはこぞってプライベート・レーサーをバックアップするようになった。MGも例外ではなく、発表されたばかりのPAミジェットをJ.M.トールミン、J.A.バストック、R.A.マクダミットの3人のドライヴァーに与えた。これらの”ワークス”カーは明るいクリーム色のボディとチョコレートブラウンフェンダーとに塗り分けられ、”クリーム・クラッカース”というチーム名で数多くのトライアルにすばらしい成績を残した。
当初”クリーム・クラッカース”各車はノーマル・アスピレーションの847ccエンジンを搭載していたが、パワー不足に対処するため1935年にはセントリック製のスーパーチャージャーを装備した。更に翌年939ccエンジンとクロス・レシオ・ギアボックスを備えたPBミジェットが発表されると”クリーム・クラッカース”はこの新しいミジェットにマーシャルのスーパーチャージャーを搭載し、6気筒のMG・NEマグネット(K2ボディ)を擁する”スリー・モスキーターズ”(ルイス・ウェルチ、フレディー・キンデル、サム・ナッシュ)とともにトライアル・シーンを席巻した。
その後、TAミジェットの発表と同時にワークス・カーも1700ccまでボア・アップされたスペシャルTAとなる。しかしSOHCからOHVに格下げされたこの新しいミジェットはPタイプ時代ほど際だった成果をあげられず、硬骨なMG党から散々な酷評を浴びせられた。
”クリーム・クラッカース”、この奇妙な名称を持つワークス・トライアル・チームは、特にボンネット・フェンダー、19インチのワイヤー・ホイールがブラウンに塗られテールにダブルのスペアを背負ったクリーム色の初期のPタイプ・ミジェットの活躍は古いMGファンに深い愛情をもって記憶されている。
Cream CrackersのPB(写真)
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(裏話、その1)
創刊前の会報の名称の候補としては他にTigressというのがありました。Tigressは、1930年に5台のみがレース用に製作されたMG18/100Mk-IIIの愛称。そのマスコットはTiger(虎)をかたどっており、のちのJaguarのマスコットによく似ている。初レースの1930年のBrooklandsのダブル・トュウェルヴ・レースでリタイヤ、以来レースには一度も出場していない悲劇のMG。しかしTigressの悲しいレース成績を引き合いに出して「Tigressは縁起が悪いから、もっと活躍したCream' Crackersの方にしよう」ということで決まりました。
(裏話、その2)
クリーム・クラッカースというトライアル・チーム名の由来はレーサーの塗色であった元々のMGのコーポレート・カラーでもあるクリーム・ホワイトとチョコレート・ブラウンの2トーンというワークスカラーが、当時英国で販売されていた「クリーム・クラッカー」という商品名の菓子を想起させるものであったから、と言われています。