今回のトラブル車

N事務局長 1933年J2(メタル損傷)

ことの顛末は(N事務局長談)

 前夜(土曜日)、夕方6時から始めたデフの調整とリヤハブのグリースとオイル 漏れの修理は、結局深夜2時までかかり、翌日の準備をして床についたのが3時 少し前。ドライバーは完全に寝不足でも、荷物満載のJ2婆は山陽道に入るやいな や絶好調でアクセル全開、「えい、ままよ」と踏み続け、1XXキロぐらいまでに 達したところでいきなりメタルがガンガンガン。
 実は琵琶湖ミーティングの帰り からその兆候(軽微なメタル音と油圧低下)があって、気にはしていたのですが、 遂に来たか!ってな感じでした。どうせ逝くならカタログデータの130キロまで 出したかったけど。

 そのまま気にせず(どうせまたOHだわい)淡河SA経由グリンピアへ到着しました が、音は大きくなる一方。帰りは牽引か!?と心配しましたが、小林彰太郎さん からアドバイス、「点火時期を目一杯遅らせてごらん、音がしにくくなります」。 実際やってみるとその通り、高いギヤでトロトロ引っ張ると全く音は聞こえない ほど。さすがに80キロも出すと音は少し聞こえるけど、音が小さくなって精神的 圧迫は無くなり、帰りは六甲トンネルの渋滞で死にそうになりながらも無事完走。 MGって本当にタフだわね。

N副会長 1964年MG-B(スーパーチャージャー付き)

 小林彰太郎サイン入り、MGBスペシャル(スーパーチャージャー)は意気揚々とグリーンピアを後にしたのですが、帰りの中国縦貫道の渋滞の中で悲惨なトラブルに遭遇、何度か息も絶え絶えになりながら大津までなんとか辿りついたそうです。

(トラブルを目撃したU会長談)

 西宮北出口直前で携帯電話に悲痛な叫びが!声の主はNさん。「アカン!エンジンが止まった。ギアも入れへん!」前方の大渋滞とにらめっこしながら、西宮北出口で降りるか、このまま突入か!で迷っている矢先のSOSに答えは決まった。

 瞬間、彼から2度目のコール。「とりあえず、エンジンは掛かった。西宮北出口で待っとって!」料金所を出るまでもなく、又、その直前でエンジンストップ。合流はできたものの、遂にヨイヨイである。メカおんちの私には成すすべもなく、MGBのご臨終を一緒に見届けてやる事しかできず。「JAF、呼ぶわ!」といいながら、彼の手は再度、イグニッションキーを廻す。すると、どうだ。まるで、忍者の煙り玉をあびたかのように、あたりは真っ白な白煙に包まれ、Nさん共々MGBごと消えてしまったかのようであった。

 今世紀最後の大イリュージョン!そん事いってる場合じゃござんせんよ。アンタ。一度はここでMGBは死んでしまったかのようではありましたが、恐るべし、MGBスペシャル。なんと、なんと、不死鳥のごとく、地獄の底から雄叫びを上げ、ゾンビのごとく蘇ったのである。料金所を出て、西宮か神戸か、二者選択を強いられたが、少しでも空いてる道を選び、いざ、神戸へ!神戸電鉄有馬線を横に見ながら新神戸トンネルを目指し、………までは良かった。

 トンネルを出るとそこは、又々、大渋滞。黄信号の点滅であせって、頭ひとつ出してMGBスペシャルを先導するが、惜しくもそこで又、エンジンストップ!危うし!MGBスペシャル。頑張れ!MGBスペシャル。少し先でしばらく待つ事10分程。しゃっくりでもしている様なギクシャクしたエンジン音をたてながらヨタヨタとMGBスペシャルはやってきた。もう、目の前は阪神高速入口だ。

 やや、渋滞ぎみの中をとにかく少しでも大津に近付ける。やがて、スムースな流れの中に身をゆだね、約50マイルでの巡行速度を保ちながら、名神高速へ。豊中までのランデブー走行ではあったが、互いのMGBは、そこでウインクをして別れた。その後、MGBスペシャルはどうなったのかは知らない。

K会員 MG−A(キャブ不調)

レスキューしたN事務局長談

帰宅直後にK会員(MGA)からレスキュー依頼の電話があり、結局 キャブの調整不良。ガスがメチャクチャ濃くなってました。さぞかし燃費も 悪かったことでしょう。いちどじっくりバランスをとると良くなります。