The birth of "ADDER"
part.2:MIATA Shock


 1989年2月9日シカゴ・モーターショウ。かねて噂されていたマツダ製 ライトウェイト・スポーツが「マツダ・ミアータ」の名と共に発表された。
 もはやこのユーノス・ロードスター(以後「MX5」と呼称。理由は後述) については何も言うことはないだろう。ただ一つ指摘しておきたいのは、MX5なかりせばMGF/RV8はおろか、現在この世にBMW−Z3もフィアット・バルケッタもメルツェデス・ベンツSLKも、ポルシェ・ボクスターすら姿がなかったかも知れないという事実である。
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 あえて斜に構えた言い方をするなら、MX5は日本オリジナルのコンセプト ではなく「ブリティッシュ・ライトウェイト・スポーツをアップ・トゥ・デイトにしただけ」という見方も可能である。「そんな事くらい、他の会社もとっ
くに思いついていた」と言うのは簡単だし、「何度もモーターショウには出て いるコンセプトだ」と言うのも簡単だ。
 MX5が世界中のモーター・フリークから歓呼の声と共に迎えられ、世界中 の名だたる自動車企業達に後を追わせる事となった理由は幾つか考えられる。

 その一つがMX5は絶滅していたブリティッシュ・ライトウェイト・スポー ツカーに対する尊敬の念を持ち、ブリティッシュ・ライトウェイト・スポーツを参考にした事を隠そうとはしなかった、という点にあると考える。
 誰が見ても他の企業の産物に範を取ったことは明白であるにもかかわらず、 それを必死になって否定しようとする企業の醜い姿は、悲しい事だが往々にしてよくある光景である。マツダはそれをしなかった事で毅然とした態度を貫くことができたし、MX5自身が毅然とした車に見えた。
 「世界に冠たる日本の製造品質で作られた、新車のブリティッシュ・ライト ウェイト・スポーツがあったら」というのは世界のモーター・フリークの願望であり、その願いに素直に応えた事こそがまさにマツダが行ったことだった。

 第2にMX5は「市販された」という事である。
 当たり前の話に聞こえるだろうか?
 およそこの世に存在する自動車企業の中で、ライトウェイト・スポーツカー の絵が1枚も描かれた事のない企業は存在しないだろう。あるものはデザイナーの余技で終わったかも知れない。またあるものは立体モデルまで行ったかも知れない。運が良いものは試作車まで進んで、モーターショウのステージで華
やかなスポットライトを浴びたかも知れない。
 しかし、MX5以前には事実上「日本の製造品質で作られたブリティッシュ ・ライトウェイト・スポーツ」というものを自分のガレージに収める事のできた者はいないのである。
 あった物はせいぜいMGBと同じ頃に世に生まれた車が老醜を晒している姿 か、金銭的に恵まれたごく少数の人間だけが手に入れることができるハイクラスのスポーツカーだけである。
 近い車としては初代MR2や初代/2代CR−Xがある。しかしMR2はイ ギリスなどでは現在もそれなりの評価は受けているものの、開発時に日本における「スポーツカー・アレルギー」の影響でバイアスがかかったために、スポーツカーとしては歯切れの悪い車とならざるをえなかった。百歩譲っても「ブリティッシュ・ライトウェイト・スポーツ」という言葉から受けるイメージには合致しない車だったと言わざるをえない。
 それに対してMX5は「ブリティッシュ・ライトウェイト・スポーツ」とい う言葉を素直に具現化した事で、より多くの人々から受け入れられる事ができたのである。
 さらに言うならどれほど「自分も考えていた」と言ってみたところで、肝心 の「一般消費者の手に届けた」という事実の前では、そんな主張はもはや「引かれ者の小唄」でしかない。
 市販するかしないかというのは、一つの決断でしかない。しかしその間には 天と地ほどの差異がある。マツダが尊敬されるべきなのは、その決断を下したという点にある。

 第3にMX5は「入門者向けスポーツカー」を目指して、それに求められる 用件を正しく理解していた人々によって生み出された希代の名車であるという点である。
 マスコミに取り上げられる機会の多い、開発の最高責任者であった機種担当 主査の平井氏、シャーシィ・セッティングの責任者であったシャーシィ設計部部長立花氏が自身エンスージャストと呼ばれるに相応しい人達だった事は有名である。
 ル・マンでの優勝経験を持ち、RX7という高性能スポーツカーをもライン ナップに持つ彼らにとって、MX5をRX7の小型版とすることは造作もないことだっただろう。
 しかし彼らはその方向を目指さなかった。MX5がRX7とは異なる「入門 者向けスポーツカー」という方向付けをされた時、「すべき事」が重要なのは言うまでもないが、より重要でかつ往々にして見落としがちな事は「すべきではない事」である。
 スポーツカーである以上一定の性能を備えてべき事は言うまでもないが、入 門用であるために求められるのは絶対性能よりもむしろその性能の引き出し易さである。初心者用である時には、絶対性能の高さがむしろ邪魔になる事も少なくないのだ。同じことはスタイリングにも言えるし、メカニズムにも言える
 MX5最大の成功要因は、この「すべきではない事」「やりすぎない事」の 判断が極めて高度なレベルで行われた、という点にあると断言できる。
 これは平井氏を始めとする開発の方向性を握るスタッフが、スポーツカーの 酸いも甘いも熟知していてなおかつ大人の判断が出来て初めて可能な事であり、一般論で言えばスポーツカーに無知な人間にこの種の入門用スポーツカーを作らせると「やりすぎ」のレベルに達してしまう上に、「やりすぎている」事の自覚さえ持てない事が非常に頻繁に起こるものである。

 かくしてマツダMX5はMGBが18年間かかって作り上げ、16年間保持 し続けていた「最多量産オープン2シーター・スポーツ」の記録をわずか8年で塗り替えるメガ・ヒットとなった。自動車の歴史の中でMX5は「ライトウェイト・スポーツに市場性がある」事を世界中の自動車企業に再認識させたという記念碑的存在でもある。
 後に「ミアータ・ショック」という名で語られる様になるこの現象が、アビ ンドン工場の灰の中に投げ入れられたもう一つの炎だった。


<ユーノス・ロードスター>の呼称について

 僕が唯一MX5で残念なのは、日本における商品名である。「ロードスター (ROADSTER)」とは本来屋根のないスポーツカーのボディ形式を指すイギリスに おける呼称であり、その意味では「セダン(イギリス式では『サルーン(SALOON )』)」「クーペ(COUPE)」などと同列にすぎない。 厳密に言うならばロー ドスター形式には巻き上げ式サイド・ウィンドゥや折り畳み式幌の装備はなく、せいぜい前者は差し込み式サイド・スクリーン、後者はストゥ・アウェイ式が装備されている程度である(ケイターハム7などを想像いただきたい)。
 巻き上げ式サイド・ウィンドゥや折り畳み式幌を装備したスポーツカー(厳 密にはスポーツカーには限らないが)はドロップ・ヘッド・クーペ(DROP HEAD COUPE /DHC)またはコンヴァーティブル(CONVERTIBLE)、MGにおいてはトゥアラ ー(TOURER)と呼ばれていた。
 しかし本来オープン・スポーツカーにハードトップを被せたシルエットに端 を発している「ハードトップ(HARDTOP)」が現在では広義に用いられている例 にも見られるように、「オープン・スポーツカー」の呼称を「ロードスター」とする事に異を唱えるつもりはない。

 MX5において問題と思われるのは「ロードスター」の名を固有名詞として しまっている点である。これは言ってみれば「トヨタ・セダン」とか「日産クーペ」と名付けている事と同義である。
 それ以上に僕が問題視しているのはマツダが「ロードスター」の名を商標登 録してしまう事で、その他のロードスター形式のボディを持つ車を「ロードスター」と呼べなくなるという点である(どこかのメーカーが『セダン』の名を商標登録したという事態を想像していただきたい)。
 信じられないかも知れないが、現在日本では「EFI(電子制御式燃料噴射 装置)」の名称はトヨタ自動車が商標権を持っており、他のメーカーはこの呼称は使えないのである。
 同様の例でダイムラー・ベンツが所有していた「ABS(アンチロック・ブ レーキ・システム)」があるが、これはベンツ社が商標の自由使用を全世界的に認めた(商標権は保持しているようだが)ために一般名詞となることができた。

 僕にはあれだけの高い見識でMX5を作り上げたマツダが、最後の最後でな ぜこんな馬鹿げた失策(あえて『失策』と言う)をしでかしたのか、理解に苦しむ。
 「日本ではMX5以外は『ロードスター』と呼んではいけないんだ」とイギ リス人に言ってみた時の反応が見たいものである。

 ともあれ僕は以上の理由から、ユーノス・ロードスター(マツダ・ロードス ター)に関しては「MX5」という呼称を使わせていたく事を了承いただきたい。


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